「神の民が自分自身を低く評価するときに神は失望される。神はご自分の民が、彼らの上におかれた価値にしたがって自らの評価をするように望まれる。神が彼らを所望されたのである。そうでなれければ、神は彼らをあがなうために、ご自分のみ子をあのように高価な使命におつかわしにならなかったのである。神は彼らに用があるのであって、彼らが神様のみ名の栄えをあらわずために、神に最高の要求をするときに神はよろこばれる。神の約束に対して信仰を持つとき、大きなことを期待できるのである。
しかしキリストのみ名によって祈ることには多くの意味がある。それはわれわれがキリストの品性を受け入れ、キリストの精神をあらわし、キリストのみわざをなすことを意味する。救い主の約束は条件つきで与えられている。主は『もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである』と主は言われる。(ヨハネ14-15)主は人を罪のうちにあって救われるのではなく、罪から救われるのである。そして、主を愛する者たちは、従うことによって彼らの愛を示すのである。」~各時代の希望(下巻p150)
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