ペテロのすべての失敗ののちに、すなわち、彼がつまずき、立ち直ってのち、また、彼の長い奉仕の期間、キリストと親しく交わり、正しい原則を実行されたキリストから直接に知識を受け、彼がみことばを説いたり、教えたりして賜物や知識や感化力をさずけられたのちに、彼が人を恐れたり、あるいは、人に重んじられようとして福音の原則を偽り、これを避けねばならなかったとは、不思議ではないか。ペテロが動揺して正しいものを固く守れなかったとは、不思議ではないか。神がすべての人に、自己の無力さ、自分の船を安全にまっすぐ港に操縦できない無能さを、悟らせてくださるように。 艱難から栄光へ 第19章 エルサレム会議
小さな光 Small Light
2026年5月16日土曜日
2026年4月30日木曜日
2026年4月7日火曜日
2026年3月31日火曜日
休息と内省
イエスの弟子たちはいかに働き、いかに休息すべきかという事について、教育される必要があった。今日神の選ばれた働き人は離れて行き、しばらく休息せよというキリストのご命令を聞く必要がある。このご命令を無視したために、その必要がなかった多くの尊い生命が犠牲にされてきたのである。・・・・収穫が大きく働き人が少ないけれども、健康や生命を犠牲にしては何も得られない。・・・・体の弱い、疲れた働き人で、しなければならない仕事がたくさんあるにもかかわらず、彼らには全くわずかしかできないのを見て、すっかり失望している人々がたくさんいる。彼らは、もっと仕事をやり遂げられるような体力を求めているのであるが、この階級の人々にこそイエスは、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」と言われるのである(マルコ 6:31)。―レビュー・アンド・ヘラルド・1893年11月7日
2026年3月27日金曜日
聖書が最も興味のある本であることがわかります
人がひまな時間にどういう本をえらんで読むかによって、その人の信仰経験の性質があらわれます。青年たちが健康な精神状態と健全な信仰の原則を持つには、み言葉を通して神との交際のうちに生活しなければなりません。聖書は、キリストを通して救いに至る道をさし示しているので、私たちにとってより高い、よりよい生活への指針です。聖書にはこれまで書かれたものの中で最も興味のある、最も教訓的な歴史と伝記が含まれています。小説を読んで想像の堕落していない人には、聖書が最も興味のある本であることがわかります。
聖書は書物の中の書物です。神のみ言葉を愛し、機会のある度に聖書をさぐってその豊かな宝を自分のものとし、すべての良いわざに全き備えができるならば、それはイエスがあなたをご自身のもとに引きよせておられる証拠です。しかしキリストの教訓を理解して、その要求に一致しようと努めないで、ただ気まぐれに聖書を読むだけでは不十分です。神のみ言葉の中には、真理の鉱脈の深いところに竪坑を掘り進めることによってのみ発見することのできる宝があります。
肉の思いは真理をこばみます。しかし悔い改めた魂は、ふしぎな変化を経験します。聖書は罪人の罪を立証する真理をあらわしているので、これまでおもしろくなかったのが、こんどは魂のかてとなり、人生の喜びまた慰めとなります。義の太陽であられるキリストが聖書のページを照らし、聖霊がそのページを通して魂にお語りになります。・・・・
軽い読み物が好きだった人たちに、こんどは預言の堅いみ言葉に注意を向けさせなさい。聖書を手にとって、新鮮な興味をもって旧新約聖書の聖なる記録を研究しはじめなさい。熱心に幾度も聖書を研究すればするほど、それはますます美しいものに思われ、軽い読み物に対する興味がだんだん減ってきます。この尊い書物をあなた方の心にしっかり結びつけなさい。それはあなた方にとって友人となり、また案内者となります。 ―ザ・ユース・インストラクター・1902年10月9日
2026年2月14日土曜日
キリストは、われわれが自分自身を弁護したり、不信と高慢の要求を満足させたりするために、われわれに力をお与えにならない、
今日、真理のことばが示されると、ユダヤ人のように、わたしたちに証拠をみせてください、わたしたちのために奇跡を行ってくださいと叫ぶ者が多い。キリストは、パリサイ人の要求によって奇跡を行われたことはなかった。彼は荒野でサタンのそそのかしに応じて奇跡を行われなかった。キリストは、われわれが自分自身を弁護したり、不信と高慢の要求を満足させたりするために、われわれに力をお与えにならない、しかし福音が神から出たものであることを示すしるしがないわけではない。われわれがサタンの束縛をたち切ることができるのは、一つの奇跡ではないだろうか。サタンに対する敵意は人の心に自然にあるものではなくて、それは神の恵みによってうえつけられるのである。頑固で、わがままな意志に支配されていた者が自由になり、神が天の使者を通して引きよせられるのに全心全霊をもって応ずる時、一つの奇跡が行われる。強力な欺瞞に陥っていた人が道徳的真理をさとるようになった時もそうである。魂が悔い改めて、神を愛し、神の戒めを守るようになるたびに、「わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け」るとの神の約束が成就される(エゼキエル36:26)。 各時代の希望 第44章 真のしるし
この言葉は主からあなたに送られているのである
神がメソポタミヤの平原からアブラハムを召されてから、今日わたしたちを召されるまで、神の召しの日的は、みわざの達成されることである。「わたしは……あなたを祝福し、……あなたは祝福の基となるであろう」と神は言われた(創世記12:2)。「起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから」(イザヤ60:1)、福音の預言者イザヤを通して語られたキリストのみことばは、山上の説教に反響しているにすぎないのであるが、このみことばは、終わりの時代に住むわたしたちのために語られたのである。もしあなたの心に主の栄光がのぼり、あなたが万人にぬきんでる主の美しさ、美しさの極みであるおかたを見、あなたの魂が主の臨在の栄光によって輝くようになったら、この言葉は主からあなたに送られているのである。あなたはキリストとともに変貌の山に立っただろうか。山のふもとにはサタンに捕らわれた多くの魂がいる。彼らは、自分たちを解放してくれる信仰と祈りのことばを待ちわびているのである。 祝福の山 新しい声