2021年6月19日土曜日

しかもこの決定は、1つの点にかかっていると、主は言われた。

 「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて……彼らをより分け」るであろう(マタイ25:31)。このようにキリストは、オリブ山で、大いなるさばきの日の光景を、弟子たちに描写された。しかもこの決定は、1つの点にかかっていると、主は言われた。国民が主の前に集められる時、そこには2つの階級しかないのであって、彼らの永遠の運命は、貧しい者や悩める者を通して主のためにつくしたか、それともつくすことを怠ったかによってきまるのである。 

その日には、キリストは、ご自分が人々のあがないのために生命をささげて彼らのためにつくされた大いなるみわざを彼らの前にお示しにならない。主は、人々が主のためになした忠実な働きをお示しになる。主はその右手を置かれる人々にこう言われる、「わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである」(マタイ25:34~36)。しかしキリストからほめられる人たちは、自分がキリストに奉仕していたことを知らない。彼らのとまどった質問に、主はこう答えられる。「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25:40)。 

各時代の希望第70章 わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者

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