2021年10月9日土曜日

主人のお金を忠実に取り扱った人のタラントのように倍加したことでしょう。

 祝福は大事にされたか

私たちの霊的な賜物を増し加えるためには、光の中を歩まねばなりません。キリストの再臨が近づいていることを考えて、私たち自身の魂を備えることに専念し、私たちの灯火を整え、明るく燃やし、人々に花婿の来臨の備えをするように勧め、目を覚まして働かなければなりません。目を覚ますことと働くこととがともになされる必要があります。信仰と行為が結びつけられないと、私たちの品性は均整のとれた堅実な、イエス・キリストにあって完全なものとはなりません。

 祈りによる瞑想の生活だけでは、私たちの光は暗くなります。というのは、光が与えられるのはほかの人に分け与えるためだからです。そして、多くの人に与えれば与えるほど、私たちの光も明るくなっていきます。私たちが熱意をあらわせることがこの世に1つあるとすれば、それは、キリストがそのために死なれた魂の救いを求めることです。こうした種類の働きは、個人の信仰生活を決しておろそかにしません。「熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え」(ローマ 12:11)と勧められている通りです。

 神の栄光に目を注ぐというのは、ただ1つの目的を持ち、あなたの心の中になされた業をあらわすことです。すなわち、あなたの意志を神の意志に従わせ、すべての考えをとりこにして神の栄光を求めることです。世の人々は、大学、病院、出版所、そしてバトル・クリーク教会員たちに起こったリバイバルのあとの影響を注目しています。あなたは日常生活と品性において、どんな証をしているでしょうか。

 神は、あなた方すべての人が自分で喜び、楽しみ、栄光を受けるのではなく、すべてにおいて神を尊び、神の恵みの賜物を通して与えられた光と特権に従って神にお返しするよう、全力を尽くすことを期待されたのです。神はあなた方が天の聖者たちに対して証をし、この世に対してもキリストの恵みの生きた証人となるよう期待されました。主は、あなた方が、主の豊かな祝福を安っぽい軽いものとして取り扱っているか、それとも敬虔な恐れをもって尊い宝として取り扱っているかを見ようとして、あなたを試されました。すべての人が神の賜物をそのように正しく取り扱ったならば、―というのも、この働きは神よりのものだからです―それぞれの責任に応じて与えられた恵みは、主人のお金を忠実に取り扱った人のタラントのように倍加したことでしょう。

呪いとなった祝福

神はその民の忠誠を試みて、神のゆだねられた尊い祝福をいかに用いるかを見ようとしておられます。この祝福は、天の法廷における私たちの仲保者イエスから来たものです。しかし、サタンは入ることのできるいかなる道からも入ってきて、光と祝福を暗黒と呪いに変えようとします。

 いかにして祝福が呪いに変えられるのでしょうか。人間が光を大切にしないようにさせたり、光が品性を改変するのに有効であることを世の人々に示さないようにさせたりすることによってです。聖霊に満たされる時に、人間は自分自身を捧げて神と協力します。彼はキリストのくびきをつけ、自分の重荷を負い、尊い勝利を得るためにキリストの戦列で働きます。彼は、キリストのように光の中を歩みます。そうすれば聖書の言葉が彼に成就するのです。「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである」(IIコリント 3:18)。

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