霊的リバイバルと個人伝道の結合
教会が一新されるのは、個人が神の祝福を熱心に求めるからである。神を渇望し、信仰をもって求めれば、それ相応のものを受けるのである。彼は、大いに神に頼る気持ちをいだいて働きに出て行く。すると、人々は同様の祝福を求めたい気持ちに目覚め、霊的に元気づく一時が人々の心にやってくる。手広い仕事は軽視されないであろう。更に大きい計画が、よい時期に立てられるであろう。しかし、友だちや隣人に対する個人的な努力と関心は、想像以上の事を成し遂げる。この種の働きが、じゅうぶん行われていないために、キリストが犠牲となられた人々の魂が滅びつつある。
1人の魂には無限の価値がある。カルバリーがその価値を語っている。真理に導かれた人は、他人を導く器となるであろう。そして、その結果、祝福と救いが増し加わるであろう。たとえ更に手広い集会を開いても、個人的な努力に欠けているならば、あなたの働きの方が、それら以上にりっぱな成果をあげる事ができるであろう。両者が神の祝福を受けて結合されると、もっと完全で十分な働きがなされる。しかしもし一部だけしかできないものなら、家庭で聖書を開き、個人的な訴えをなし家族の人々と親しく、重要でないものについてではなく、救いの大切な論題について語り合いなさい。あなたの心が、魂の救済という重荷を負っている事を彼らにわからせなさい。 ―レビュー・アンド・ヘラルド・1888年3月13日
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