2009年12月10日木曜日

実際的な行為

「人間は、そして人間のなす行為はそれがどんなもので誰であろうと、信仰のみによって義とされます。律法は人間をその仕業に応じて裁きますが、律法の標準は途方もなく高いので、、どんな人間であってもそれに達する事はできません。だからこそ仲保者を必要とるすのであって、その御方によって義とせられねばならないのです。・・・この世で人間が必要としているのはただ1つ、義とせられる事です。そして、”義とする”というのは実際的な行為で、単なる理論ではありません。・・・われわれは過去の不完全な行為を完全としていただくのに、キリストの義を必要としているのと同じく、今、義とされるにもそれを必要とするのです。」

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