「はい、知っています。」
あるクリスチャン・・・
以前は爵位を持っていた貴族の女性が革命の時、彼女は財産をすべて没収され、彼女の息子たちは死去し、ただ3人の孫だけが残され彼女の手もとに預けられていました。この家庭には食べ物が全くありませんでした。小さい孫たちは、夕食に何も食べる物がないので不安になりました。祖母は「神様が与えてくださるでしょう」と言ってなだめました。ところが1人の子供が「おばあさん。あなたは今夜、何も得られないと思っているでしょう」と言いました。「どうしてそう考えるの?」と聞くと、その子は「包丁を研がなかったから・・」と答えました。
この女性はパンがなくなったので、もはや包丁を研ぐ必要はないと思って、包丁を研ぐことを怠ったのをその子は見ていたのでした。
そこで祖母と孫たち3人は共に神様の御前にひざまずいて、夕食のために食物を送って下さいと祈りました。小さい女の子は「主よ、小さなパンではなく大きなパンを送ってください。わたしたちは大きなパンを必要としています。」と祈りました。
その午後、子供たちは自分のする事を終えて夕方になりましたが、夕食には何も食べる物がありませんでした。
祖母の方には試練でした・・・
ちょうど彼らがベッドに入る前でした。
誰かが戸をたたきました。戸を開くと一人の男が立っていました。その人は財産家で彼女の親友の1人でした。彼は30キロ離れたところに住んでいました。しかし、彼は雨にもかかわらず長い時間歩いてきたのです。
彼は謙遜に言いました。「わたしはどうしてここに来たか、自分でも分かりません。ただ古い友人の家を訪問するようにとの、強い印象を受けたので来ました。」とあいさつしました。
そして子供達に「子供達、私は何を持ってきたか知っていますか」と語りかけました。
すると小さい娘は「はい知っています。あなたは大きなパンを持っています」と答えました。
彼が聞きました。「どうしてその事を知っているのですか」
子供たちは「わたしたちは大きなパンが必要なので、神様にそのようにして下さいと祈ったからです。」と答えました。
彼は「まったくその通りのパンを持ってきました。」と言って、外套の下から大きなパンを取り出して渡しました。
「イエス様は宇宙の支配者である神様を「われらの父」という新しい名前で聴衆に示されました。イエス様は、神様がどのようにやさしく人々に愛情を注いでおられるかを彼らが理解することをお望みになりました。神様は失われた魂の一人一人を心にとめ、『父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる』ことを、イエス様はお教えになっています。(詩篇103-13)このような神様の観念は聖書の宗教以外はどの宗教も世に与えたことがありませんでした。異教は、神様を愛の対象としてではなく、恐れの対象として見るように教えます。つまり子供らに愛の賜物を惜しみなくお与えになる父としてではなく、犠牲をささげることによってなだめられる悪意をもった神であると示すのです。イスラエルの民でさえ神様に関する預言者の尊い教えに盲目になっていて、父のような神様の愛のこの啓示は、この世にとってはじめての主題であり、新しい賜物のように思えたのでした。」
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