「弟子であると公言するだけでは何の価値もありません。魂を救うキリストに対する信仰とは、多くの人が表明しているようなものではないのです。彼らは、『信じなさい、信じなさい、あなたは律法を守る必要はない』と言います。しかし、服従へ導かない信仰は臆断です。使徒ヨハネは『「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない』と言っています。(ヨハネ第一・2-4)、だれも、特別な摂理や奇跡的なあらわれなどがあるからといって、彼らの働きやその主張する思想がまちがいない証拠であると考えてはなりません。人々が神のことばを軽んじて語り、十分の印象や感情や行動を神の標準以上に見なす時、彼らのうちには光がないことがわかるのです。
服従は弟子であることの試金石です。わたしたちの神様に対する愛の真実性を証拠だてるのは律法の遵守です。わたしたちに受け入れる教理が心の罪の根を断ち、魂を汚れから清め、清きにに至る実を結ばせるなら、わたしたちはそれが神の真理であることを知ることができます。博愛、親切、情け、同情がわたしたちの生活に現され、正しいことをする喜びが心の中にあり、わたしたちが自分ではなくて、キリストをあがめるならば、わたしたちの信仰が正しいものであると知ることができます。『もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである』(ヨハネ第一・2-3)」~祝福の山
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