2013年5月3日金曜日

わたしたちの終生の働きにおける神の選択

「多くの人が自分の生涯の仕事に不満を感じている。その境遇が気に入らぬこともあろう。あるいは、もっと高い責任が果たせると思うのに普通の仕事に携わっているためかもしれない。またその努力がが認められず、効果がないように思われて、未来が不安に感じられることもある。
 わたしたちがしなければならない仕事は、自分の好きなものでないかもしれないが、自分のために神が選ばれた働きであるとして受け入れるべきことを覚えよう。好きであっても、きらいであっても、わたしたちは自分の最も身近にある義務を果たさなければならない。『すべてあなたの手のなしうることは、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。(伝道の書9-10)』
 もし、神がわたしたちに使命をニネベに伝えるように望まれるならば、ヨッパやカペナウムに行くことを喜ばれない。わたしたちが導かれて行くところは理由があって、そこへ神がおつかわしになったのである。ちょうどそこにわたしたちが与えることができる助けを必要としている人がいるかも知れない。ピリポをエチオピアの役人につかわされ、ペテロをローマの百卒長に、また幼いイスラエルの娘をシリヤの大将ナアマンを助けるために送られた神は、今日、青年男女を自分の代表者として神の助けや指導を必要とする人々へつかわされるのである。」ミニストリーオプヒーリング

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