もしあなたが神のみわざを行うためにみずからを神にささげたなら、あすのことを思いわずらう必要はありません。あなたが仕えている神は、はじめから終わりを知っておられるおかたです。あなたの視界からは隠されていることを自分の手で処理し、自分の知恵だけで成功させようとすることは、神から与えられていない重荷を引き受けて、神の助けなしにそれをになおうとすることです。そうすることは神の責任を自分でとり、事実上自分自身を神の地位におくことでもあります。危険や損害は確かにふりかかってくるのですから、それを予想して懸念するのももっともなことではあります。だが神がわたしたちを愛して、恵みを施そうとしておられることをほんとうに信じるとき、わたしたちは将来のことを心配しなくなります。わたしたちは、ちょうど子供が愛情深い親を信頼するように、神を信頼します。そのとき、わたしたちの意志は神の意志に没入し、悩み苦しみは消えてゆくのです。
キリストは、あすの重荷をきょう負おうとするとき、助けを与えるとは約束しておられません。「わたしの恵みはあなたに対して十分である」と言われましたが(コリント第二・12-9)、しかしその恵みは、荒野のマナのように、一日に必要なだけその日に与えられるのです。荒野の旅をしていたイスラエルの大群衆のように、わたしたちも朝ごとに、一日分の必要な天のパンをいただくことができます。
一日だけしかわたしたちに与えられていないのですから、わたしたちはきょう神のために生きなければなりません。この一日、真剣に仕えて、目的を計画も心労もすべてキリストのみ手におゆだねすべきです。また神はわたしたちを心に留めておられるのだから、わたしたちの思いわずらいを神におまかせすべきです。「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」(エレミヤ書29ー11)。「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る。」(イザヤ書30ー15)
もし日ごとに主を求めて悔い改め、みずから進んで神にある自由と喜びの経験を味わい、神の恵み深い招きに喜んで応じ、キリストの服従と奉仕のくびきをになうなら、つぶやきはすべてなくなり、困難はすべて取り除かれ、現在直面している複雑な問題もことごとく解決されます
~祝福の山~
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