「目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。」(ピリピ3:14)
わたしは、自分の品性の欠点を正すことはできない、などとだれも言ってはならない。そう思い込んでしまえば、決して永遠の生命を受けることはできない。不可能であるということは、自分の心の中で、そう思ってしまうからである。勝とうと思わなければ、勝つことはできない。心が清めを受けずに汚れていることと、神の支配に喜んで従わないことからほんとうに困難なことが生じるのである。
すぐれた働きをするように神から資格をさずけられた人びとの多くがなぜ、なんらなすところがないかというと、彼らは、何もしようと努力しないからである。世には、なんの確かな目的ももたず、なんの標準もなく一生を送っている人が、多くいる。このような人は、彼らのしわざに相応した報いを受ける。
人間は、自分が定めた標準以上には出ることができないことを記憶しなければならない。そこで、どんなに苦しく、克己と犠牲が要求されるときにも、標準を高くし、進歩の階段をのぼらなければならない。なににも妨げられてはならない。どんな人であっても、運命の網に捕えられて、どうにも身動きができないほどに、固く縛られている人はない。難局に当面した場合には、それに打ち勝つ決心がなければならない。一つの障害を打ち破ると、前に進むいっそうの能力と勇気がわいてくるものである。正しい方面に向かって断固として進むとき環境は、妨げとはならず、かえって、わたしたちの助けとなるのである。
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