家庭生活、教会生活、宣教の生活に祈りが必要です。熱心な祈りの効力を知っている人はあまりいません。教会が忠実に祈れば、多くのことにおける無気力から救われるでしょう。神を熱心に求めれば、豊かに報いられるからです。
教会が聖なる召命感に目覚めれば、もっと多くの熱心で有効な祈りが天に昇り、聖霊が魂の救いに関して神の民の働きと義務を示してくださいます。神は求めるすべての魂に近づいてくださる、という不変の約束があるからです。
神は、「イエス・キリストを、死人の中からよみがえらせ」、それによって「朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さった」(ペテロ第一 1-3、4)のですから、教会は生き生きとした希望に蘇らなければなりません。今日の世界で何をなすべきかがわかった時、教会員は、神を知らない人、霊的に無知で現代の真理がわからない人のために骨折って働くでしょう。克己、自己犠牲が、私たちのすべての経験に織り込まれるべきです。私たちは、生活に矛盾がないように目を覚まして祈るべきです。目を覚まして祈るということは、祈りが答えられるように神の前にわたしたちの祈りを生活することです。このことをわたしたちが理解しているということを、人々に示さなければなりません。
~セレクテッドメッセージ 教会が目を覚ます時~
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