2020年12月6日日曜日

ああ、今日、人類家族がその歌をみとめることができるように。

 ダビデがかつて羊の群れをつれて歩いた野で、羊飼たちはまだ夜の見張りをつづけていた。その静かな時間に、彼らは約束の救い主について語り合い、ダビデの王座に王なるキリストがおいでになるように祈っていた。すると見よ、「主のみ使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照らしたので、彼らは非常に恐れた。み使は言った、『恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである』」(ルカ2:9~11)。  このことばに、栄光の光景が、聞いている羊飼たちの心を満たす。イスラエルに救い主がおいでになったのだ。権力と栄誉と勝利が主の来臨に連想されている。しかし天使は、彼らが貧しさとはずかしめのうちにあられる救い主をみとめるように彼らを準備させねばならない。「あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」と天使は言う(ルカ2:12)。  天の使者は彼らの恐れを静めた。彼はどうしたらイエスに会えるかを教えた。人間の弱さに対する思いやりから、彼は羊飼たちが天来の輝く光になれるように間をおいた。それから歓喜と栄光はもうかくしきれなかった。平原全体が神の軍勢の輝く光に照らされた。地は静まり、天は低くたれて歌をきいた。 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるよりに」  (ルカ2:14)  ああ、今日、人類家族がその歌をみとめることができるように。その時なされた布告、その時うたわれた歌の調べは、世の終りまで高まり、地のはてまでひびき渡るのである。義の太陽キリストが、翼にいやしのカをそなえて昇られる時、その歌は、大水のひびきのように、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる」と声をあげる大群衆によってふたたびうたわれるのである(黙示録19:6)。    天使たちが姿を消すにつれて光はうすれ、夜の影がもう1度ベツレヘムの丘に落ちた。しかし人間の目がかつて見た最も輝かしい光景は羊飼たちの記憶に残った。「み使たちが彼らをはなれて天に帰ったとき、羊飼たちは『さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか』と、互に語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた」(ルカ2:15、16)。  羊飼たちは、非常によろこんで出かけ、自分たちの見たり聞いたりしたことを告げ知らせた。「人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。しかし、マリヤはこれらのことをことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った」(ルカ2:18~20)。  今日、天と地は、羊飼たちが天使たちの歌をきいた時よりも広いへだたりがあるのではない。人類はいまもなお、普通の職業についている普通の人たちが昼間天使たちと会い、ぶどう園と畑で天の使者たちと語った時と同じに、天の関心のまとである。人生の平凡な世渡りをしているわれわれにとって天は非常に近いことがある。天の宮廷からの天使たちは、神が命じられるままに動きまわる人たちの歩みにつきそりであろう。 「各時代の希望 第4章 あなたがたのために救い主が」より

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