2021年1月3日日曜日

20章 研究:ガラテヤ人への手紙1章3~5節 A.T.ジョーンズ 信仰に関する教訓

「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。栄光が世々限りなく神にあるように、アァメン。」  

  「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように」。こういうあいさつは、へブル人への手紙を除くパウロ書簡にはどれもあります。また、ペテロの手紙両書にも、わずかに違っているが、あります。  

 けれどもこれは単なる形式ではありません。これらの書簡は、真理であるところの神の言葉として、わたしたちのところに来ています。だから、このあいさつはよく繰り返されるものであるがーいや、しばしば繰り返されるからこそーすべての魂に対して差し出されている永遠の平安と神の好意の完全な保証であり、親愛をこめたあいさつである神の言葉として、わたしたちのところに来ます。 

  恵みは好意です。だからこの神の言葉は、これを読み、また聞く人だれに対しても、その好意を及ぼします。  

 神のみ名そのものが「恵みあり」です。神のみ名は、神がそのようなかたであることを述べています。神がどのようなかたであるかというと、神は「きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない」(へブル13:8)かたです。神には「変化とか回転の影とかいうものはない」(ヤコブ1:17)。ゆえに、神の恵み、限りない好意は、常にすべて人にまで及びます。そう、すべてのひとがただそれを信じさせすれば。

  「平安・・・があるように」。神は「平和の神」です。神の平和においては、他に真の平和はありません。また、「わが神は言われる、『よこしまな者には平安がない』と」(イザヤ書57:21)。「悪しき者は波の荒い海のようだ。静まることができない」(イザヤ書57:20)  しかし全世界は悪の中にあります。

 しかしながら平和の神は、すべての魂に平和を語られます。平和の王、「われらの平和」、キリストは、ご自身にあって、二つのものー神と人ーとをひとつの新しい人にするために、神と人とを一つにされたからです。そう、平和をつくりー「その十字架の血によって平和をつくり」-肉において敵を滅ばされたからです。(エペソ2;14、15、コロサイ1:20)「そしての十字架の血によって平和をつくり」、「それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。」(エペソ2:17)。あなたがたすべての人たちに平和を宣べ伝えられたのです。それゆえ、常にまたいつまでも、すべての魂に対するそのあいさつは、「あなたに平安があるように」です。そしてすべては、父なる神と主イエス・キリストから来ています。  

 ああ、すべてのひとがそれを信じるなら、そうすれば、思いをはるかにこえた神の平安が、その心と思いを、キリストを通して守られるでしょうに。

  「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。」(コロサイ3:15)「させなさい」、それが、主があなたがたに求めておられる全てです。拒んだり、打ち返したりしてはいけません。させなさい。

  「ご自身をわたしたちの罪のためにささげられた」。さあ、兄弟よ、姉妹よ、だれであれ罪を負っている罪人よ。キリストはあなたの罪のためにご自身をささげられました。主にそれらの罪をあずけてしまいなさい。主は、それらをーあなたの罪をー、ご自分を十字架につけるという途方もない価をもって買い取られました。それらを主のものとさせなさい。  

 主は、あなたが彼のもとに来て、まったく主のものとなる前に、あなたの罪を全部捨て去るようにとは求めておられません。主は、あなたに罪ごと全部来るように、そして罪ごと全部主のものとされるようにと求めておられます。そうすれば、主は、あなたの罪を全部あなたから取り去って、永遠に捨てておしまいになります。主は、「罪ごと全部」のあなたのためにご自身をお与えになりました。主は、あなたを罪ごと全部買い取られました。主が買い取られたものを、彼に持たせなさい。主に、ご自分のものを持たさせなさい。 

  主は、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、「ご自身をわたしたちの罪のためにささげられた」。わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、主がご自身をわたしたちの罪のためにささげられたということに注目してください。それは、わたしたちひとりびとりにとって、今の悪の世にあるものはすべてわたしたちの罪のうちにあることを示しています。  

 それらは「わたしたちの罪」でした。それらはわたしたちに属していました。わたしたちはそれについて責任がありました。だから、わたしたちに属するかぎり、この今の悪の世は、わたしたち自身の個人的な自我の中、わたしたちの罪の中にあります。しかし、主は、ほむべきかな。主は、「すべて罪ごとのわたしたち」のために、ご自身をささげてくださいました。主は、ご自身をわたしたちのすべての罪と自我のためにささげてくださいました。主は、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、これをして下さったのです。  

 あなたは、今の悪の世から救い出されたいでしょうか。あなた自身を、罪ごと全部買い取られたゆえに、完全な権利で主に属しているあなた自身を彼のものとさせなさい。あなたが今の悪の世から救い出されたいと思うときに、彼のものである罪をどうか奪わないでほしい。それを今の悪の世に残さないでほしい。どうか、あなたには属してないものを持ち続けるという余計な罪を加えないでほしい。  

 それらはわたしたちの罪であって、主がそのためにご自身をささげられたので、主は、ご自身をわたしたちの罪のためにわたしたちわたしたちにお与えになったことはまったく明らかです。だから、、主が、あなたがたのためにご自身をささげられた時、あなたの罪は彼のものとなったのです。あなたの罪を主に持たせなさい。それは主のものです。そして、そのかわりに彼を受け取りなさい。主は、あなたのものです。幸いな交換。主にあって、あなたは、神の満ちみちた徳と「神の御旨にしたがって」すべてのものを、あなた自身のものであるかのようにして持つのです。 「栄光が世々限りなく神に」ありますように。すべての者が、「アァメン」と言おうではありませんか。 レビュー・アンド・ヘラルド1899年8月29日

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