2021年1月16日土曜日
それはもっと大きな力をもって前進する
ルシファーは、自分が神と同等になることを「固守すべき事」とみなしたが、高い地位におられたキリストは、「かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならずおのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」(ピリピ2:6~8)。いま、十字架はちょうどキリストの前にあった。ところがキリストご自身の弟子たちは、サタンの王国の原則である利己主義で心が一杯になっているので、主と同じ気持になることもできなければ、あるいは主が彼らのために屈辱を受けられることを話されてもそれを理解することさえできなかった。
イエスはやさしくしかし厳粛に強調しながら、この悪を正そうとされた。イエスは天の王国を支配している原則は何であるか、また天の宮の標準によって評価される時、真の偉大さは何であるかをお示しになった。誇りと権勢欲に動かされている者は自分自身のことしか考えずまた自分が受けた賜物を神にお返しすることよりも、自分が受けるはずの報酬のことしか考えなかった。彼らはサタンの仲間といっしょになったのだから、天の王国に入る余地がないのであった。
栄誉の前に謙遜がある。人の前で高い地位を占めさせるために、天は、バプテスマのヨハネのように、神の前に低い地位を占めている働き人をお選びになる。最も子供のような弟子が、神のための働きにおいて最も有能な者である。天使たちは、自分がえらくなろうとする者とではなく、魂を救おうとする者と協力することができる。神の助けの必要を最も深く感ずる者が、その助けを嘆願する時、聖霊は、イエスを一目見させて、その魂を力づけ、高めてくださる。彼はキリストとのまじわりから出て行って、罪のうちに滅びつつある人々のために働く。彼は使命のために油をそそがれる。そして学問があって、知的に賢明な人たちの多くが失敗する時に、彼は成功するのである。 しかし人が高慢になって、自分は神の大計画の成功に必要な人間だと思ったら、主は彼らをとり除かれる。そして主が彼らをあてにしておられないことが明らかにされる。彼らが離れたからといって働きがとまってしまうようなことはなく、それはもっと大きな力をもって前進する。各時代の希望 第48章 だれがいちばん偉いか
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿