2021年2月13日土曜日

十分の証拠

「神は、私たちに、信仰の基礎を置くに足る証拠を十分与えられた上でなければ、信じるようにはお求めになりません。神の存在も、品性も、また、み言葉の真実性もみな、私たちの理性に訴えるあかし、しかも多くのそうしたあかしによって確立されています。けれども、神は、疑う余地を全く取り除かれたのではありません。私たちの信仰は、外見的なものの上に築くのではなく、証拠の上に築くのでなければなりません。疑おうと思う者には疑うことができますが本当に真理を知りたいと求めている人は、信仰の基礎となる十分の証拠を発見することができます。」キリストへの道 疑いをいかにすべきか

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