簡単な夕食のパンがすぐに用意される、それは、食卓の正面に席をとったお客の前におかれる。すると彼は、食物を祝福するために手をさし出される。弟子たちは驚きのあまり、あとずさりする。道連れの人は、主がいつもされていたのとちょうど同じように手をさし出している。もう1度よく見ると、見よ、その手には釘のあとが見える。2人は同時に、主イエスだ、死からよみがえられたのだと叫ぶ。
彼らは立ち上がって主の足下にひれふし、主を拝する。しかし、主のお姿は目の前から消えてしまった。彼らは、最近までおからだを墓に横たえておられたお方が席を占めておられたあたりを見て、互いに言う、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」(ルカ24:32)。
しかし、彼らはこのすばらしい知らせを伝えなくてはならないと思うと、すわって語っていることができない。彼らの疲れと空腹はどこかへいってしまった。彼らは、食事に手もつけないで、喜びのあまり、すぐにもう1度さっきやってきた道を出かけ、都の弟子たちにこの知らせを伝えるために急ぐ。道は安全でないところもあったが、彼らは、つるつるする岩にすべりながら、けわしい場所を越えて行く。彼らは、自分たちといっしょに道を歩かれたお方の保護があることを見もしなければ、知りもしない。旅のつえを手にして、彼らはもっと早くもっと早くと願いながら道を急ぐ。彼らは道を見失ってはまた発見する。時には走りながら、時にはつまずきながら、彼らは目に見えない道連れであるイエスに途中ずっとそば近くにつきそわれながら、前進する。
夜は暗いが、義の太陽が彼らを照らしている、彼らの心は喜びにおどる。彼らは新しい世界にいるような気がする。キリストは生きておられる救い主で
ある。彼らは、もはやキリストが死んでおられるといって嘆かない。キリストはよみがえられたのだと、彼らは何度も何度もくりかえす。この知らせを、彼らは悲しんでいる者たちに伝えるのだ。彼らは、エマオへの道中のふしぎな話を弟子たちに語らねばならない。彼らは、途中で誰と一緒になったかを語らねばならない。彼らは、世に与えられた最高のメッセージ、今も永遠までも、人類家族の望みがかかっているうれしいおとずれをたずさえているのだ。 各時代の希望 エマオへの道
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