2021年5月15日土曜日

記録天使に神の民の聖なる苦闘と戦いの歴史を書いてもらおう

  使徒や預言者たちの中には、だれも罪がないと主張した者はいない。神に最も近く生きた人々、知っていて悪い行いをするよりはいのちを犠牲にしようとする人々、神が聖なる光と権能をもって賞賛した人々は、自分たちの性質の罪深さを告白してきた。彼らは自分自身に信頼せず、自分の義を主張せず、キリストの義を深く信頼した。  

 キリストを見る者たちはみな、このようになる。イエスに近づけば近づくほど、そして、キリストのご品性の純潔さが更にはっきり認められるようになるほど、ますます罪のひどい罪深さを明らかに見るようになり、われわれ自身を高める気持ちはますます消えていく。魂は神を求めて絶えず手を伸ばし、罪の悲痛な告白を絶えず、まじめにささげて、神のみ前に心を謙虚にする。クリスチャン経験において1歩進むごとに、われわれの悔い改めは深まる。われわれはキリストによる以外に満足はないことを知り、使徒パウロの名白をわれわれもするのである。「わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている」。「わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである」(ローマ7:18、ガラテヤ6:14)。  

 記録天使に神の民の聖なる苦闘と戦いの歴史を書いてもらおう。神の民らの祈りと涙を綴ってもらおう。そして、「わたしに罪はない、わたしはきよい」と、人の口から断言して神のみ名を汚さないようにしよう。きよめられたくちびるは、そのように倣慢な言葉を決して発することはしない。  

 使徒パウロは第三の天にあげられて、言葉にあらわせなかったことを見たり、聞かされていたが、なお、彼はたかぶらずに言った、「わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕らえようとして追い求めているのである」 (ピリピ3:12)。天使たちには、信仰のよき戦いを戦いぬいたパウロの勝利について書いてもらおう。天に向けられたパウロの着実な歩みと、賞を目指して、ほかのことをすべて無価値なものと見なしている彼を天の住民たちに喜んでもらおう。天使たちはパウロの勝利を喜んで語るが、パウロは自分の成果を誇らない。パウロの態度は、キリストに従う者がみな、不死の冠を得るために戦いながらひたすら前進する時にとらねばならない態度である。

艱難から栄光へ 恵みによって変えられた人

 

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