できるだけ、子どもたちを、幼い時から、自然というこのすばらしい教科書が目の前に開かれているところに置かなければならない。子供たちは、大芸術家である神によって天という移り変わるカンバスに描かれたすばらしい景色をながめ、地と海の驚異について知り、季節の変化に示される神秘をみまもる。こうして神のすべてのみわざを通して、創造主について学ぶべきである。
真の教育の基礎を、これほど堅固にそして確実に築くことは、他の方法ではできない。しかしたとえ子供でも、自然と接触するときに、そこに当惑の原因を見いだすであろう。彼は、そこに相反する勢力が働いていることをみとめないではいられない。この点において自然は解説者を必要とする。自然界にまであらわされている悪の姿をみてわれわれはみな同じように、「それは敵のしわざだ」という不幸な教訓を学ぶのである。
カルバリーに輝く光によってのみ、自然の教えは、正しく読まれる。ベツレヘムと十字架の物語を通して悪を征服することがどんなにたいせつであるか、またわれわれに与えられるあらゆる祝福は贖罪(しょくざい)の賜物であるということを明らかにしなければならない。
いばらやあざみや毒麦の中には、害し傷つける悪の力が表わされている。歌う小鳥に、咲く花に、雨に、日光に、夏の微風に、やさしい露に、森のかしの木からその根元に咲くすみれにいたるまで、自然界の幾万ともしれない事物の中には、愛のいやしがみられる。こうして自然は今もなお神の恩恵を告げている。
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」とある。これこそ、十字架の光によって、自然のあらゆる面に読まれる言葉である。天は神の栄光を告げ、地は神の富に満ちている。
教育 自然の教え
0 件のコメント:
コメントを投稿