2021年9月6日月曜日

いちばん速い者のための競走ではなく、いちばん強い者のための競争でもない。

 古代の競技の選手たちは、克己と厳しい訓練に服したからといって、必ず勝利を得るのではなかった。「あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである」とパウロは言った。競走者たちが、どんなに熱心に真剣に努力しても、賞は、ただ1人にしか与えられなかった。待望の栄冠を手にするのは、ただ1人だけであった。賞を得ようとして全力をつくし、まさにそれを手にしようとした瞬間に、他の者が彼らの前に現れて、熱望する宝物をさらってしまうこともあった。 

ところが、クリスチャンの戦いは、そのようなものではない。条件に従った者は、競走の終わりにおいて、だれ1人として失望におちいることはない。真剣に耐え忍ぶ者は、1人として失敗することはない。それは、いちばん速い者のための競走ではなく、いちばん強い者のための競争でもない。最も強い聖徒とともに最も弱い聖徒も、永遠の栄光の冠を受けるのである。すべて、神の恵みの力によって、自分たちの生活をキリストのみこころに一致させる者は、勝利するのである。神の言葉のうちに述べられている原則を、日常の生活において実行するということが、しばしば、重要でなく、注目に値しないささいな事と思われている。しかし、その結果の重要性を考えるとき、それを助けたり、妨害したりするものは、何1つささいなこととは言えない。すべての行動は、人生の勝利か、または、敗北を決定する重みを持っている。そして勝利者に与えられる報賞は、彼らが努力する気力と真剣さに比例している。 第30章 競争を勝ち抜くために

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