2021年10月16日土曜日

その全生涯の中に、よいところをほとんど見ることができないからである

 サタンが、神の民をその罪のゆえに責める時に、主はサタンが、彼らを極限まで試みることを許される。神に対する彼らの信頼、彼らの信仰と堅実さとが、激しく試みられる。彼らは、過去をふりかえると、望みを失ってしまう。なぜなら、その全生涯の中に、よいところをほとんど見ることができないからである。彼らは、自分たちの弱さと無価値とを十分に自覚している。サタンは、彼らの状態は絶望的で、彼らの汚れたしみは洗い去ることができないと思わせて、彼らを恐怖に陥れようとする。サタンは、彼らの信仰をくじいて、彼らを彼の誘惑に負けさせ、神に対する忠誠を放棄させようと望むのである。

  神の民は、彼らを滅ぼそうとする敵に取り囲まれるが、しかし彼らの味わう苦悩は、真理のために受ける迫害を恐れてのものではない。彼らは、自分たちがすべての罪を悔い改めているかどうか、また、自分たちの中の何かのあやまちによって、「全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう」という救い主の約束の成就を妨げるのではないか、ということを恐れるのである(黙示録3:10)。もし彼らが、赦しの確証を持つことができるならば、拷問も死をもいとわないであろう。しかし万一、赦しに値しない者であることがわかって、自分自身の品性の欠陥のゆえに生命を失うようなことがあれば、それは神の聖なるみ名を辱しめることになってしまう。

  彼らは、至るところに反逆の陰謀を聞き、暴動が活発に起きるのを見る。そして彼らの心の中には、この大いなる背教が終わるように、そして悪人たちのよこしまが終わるようにという、強烈な願望と熱望が起こる。しかし、彼らが、反逆の活動をとどめるよう神に祈っていながらも、自分自身には悪の大きな潮流に抵抗する力も押し返す力もないことを感じて、激しい自責の念にかられる。もし彼らが、彼らの全能力を常にキリストの奉仕に用いていたならば、そして力から力へと進んでいたならば、サタンの勢力はこれほど優勢な力をもって襲ってはこないだろうと、彼らは感じるのである。 各時代の大争闘 おそるべき苦悩

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