2021年11月25日木曜日

神の筆跡

  「いまは罪のために神の完全なみわざが傷つけられているが、それでも神の筆跡は残っている。いまでもすべての被造物は、神の完全さについて栄光を告げている。人間の利己心よりほかには、自分だけのために生きているものは何もない。空中を飛ぶ鳥も、地上を動きまわる動物も、すべて何かほかの生命のために奉仕している。どんな森の木の葉もどんな小さな草の葉も、それぞれ奉仕している。どの木もどの植木もどの葉も、人間や動物が生存するのになくてはならない生命の要素を出している。そしてこんどは人間と動物が、木や植木や葉の生命に奉仕するのである。花はかおりを放ち、その美しさをあらわして世の人々の祝福となる。太陽は光を放ってもろもろの世界をよろこぼせる。海はすべての泉のみなもとであるとともにまたすべての土地の水の流れを受け入れるが、それは与えるために受けるのである。海面から立ちのぼる霧は、地から芽が出るように、土地をうるおすために雨となってくだる。


栄光の天使たちは、与えること——堕落してきよくない魂に愛としんぼうつよい見守りを与えることによろこびを感ずる。天使たちは人々の心に愛をささや く。彼らはこの暗い世に天の宮廷から光を持って来る。

やさしく忍耐強い奉仕によって、彼らは失われた魂を、彼ら自身が知ることができるよりももっと密接なキリストとの交わりに入らせるために、人の心に働きかける。

しかしこのような比較的小さな描写は別として、われわれは、イエスのうちに神を見るのである。イエスを見るとき、われわれは、与えることがわれらの神の栄光であることがわかる。「わたしは自分からは何もせず」、「生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きている」。「わたしは自分の栄光を求めてはいない」。「自分をつかわされた方の栄光を求める」とキリストは言われた(ヨハネ8:28、6:57、8:50、7:18)。これらのことばの中に、宇宙の生命の法則である大原則が示されている。すべてのものをキリストは神からお受けになったが、彼は与えるためにお受けになったのである。天の宮廷ですべての被造物のために奉仕しておられる時もそうである。愛するみ子を通して、天父の生命はすべてのものに向かって流れ出る。み子を通して、それは賛美と喜びの奉仕のうちに、愛の潮流となって、すべてのものの根源である神へもどって行く。このようにキリストを通して愛の循環が完成され、それは偉大な賦与者であられる神のご品性——生命の法則を象徴している。」各時代の希望

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