2022年5月14日土曜日

たとえ同じ話が繰り返されたとしても、神に栄光が帰せられるのである。

 何も新しいことがなく、もし言うとすれば、同じ話を繰り返さなければならないという理由で、集会の時に黙っている人々がある。こういったことは、誇りが原因であって、神と天使たちは、聖徒たちのあかしを目撃し、それが毎週繰り返されることでも彼らにとって、大きな喜びと栄光であることを、わたしは見た。主は、単純と謙遜を愛される。しかし、自分たちは神の相続人で、キリストと共同の相続人であると称している人々が、集会において尊い時間を浪費することは、神のみ心を痛め、天使たちを悲しませる。

 もし兄弟姉妹たちが、彼らの到達すべきところに達していたならば、彼らの罪のためにカルバリーの十字架にかかられたイエスの誉れのために、言うことがなくて困ることはない。われわれの罪ととがのための犠牲の死をとげるために、愛するひとり子をお与えになった神の大いなる憐れみと、罪深い人間に救いの道を開いて、ゆるしと生命を与えるために、イエスが受けられた苦難と苦悩を、彼らがもっと自覚することができたならば、彼らは、もっと心からイエスを高め賛美することであろう。彼らは、黙っておられず、感謝の心にあふれて、神の栄光と神の力について語るのである。そして、そうすることによって、神の祝福が彼らの上に宿るのである。たとえ同じ話が繰り返されたとしても、神に栄光が帰せられるのである。天使は、「聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神よ」と昼も夜も叫び続けている人々を、わたしに見せた。「これは繰り返しの連続であるが、神はそれによって栄光を受けられる」と天使は言った。われわれも同じ話を何度もするかも知れないが、それは、神に誉れを帰し、われわれが神の恵みと憐れみを忘れていないことを示しているのである。 初代文集 補 遺

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