神は大いなる愛をもって、わたしたちのうちに、聖霊による尊い徳を育成しようとしておられる。神がわたしたちに障害や迫害や困難がくるのをおゆるしになるのは、のろいとしてでなく、わたしたちの生涯の最高の祝福としてである。うち勝ったあらゆる試み、勇敢に耐えたすべての試練は、わたしたちに新しい経験を与え、わたしたちの品性建設の働きを押し進める。神のみ力によって試みに抵抗した人は、世界と全天にキリストの恵みの力をあらわすのである。
しかし、たとえきびしい試練がきても、それによって恐れてはならないが、それと同時に、自分の心の悪い欲望に引かれて行くことを、神がおゆるしにならないように祈るべきである。キリストがお与えになった祈りをささげることによって、わたしたちは自己を神の導きにゆだね、神がわたしたちを安全な道にお導きくださるように求めるのである。この祈りを心からささげながら、自分の好き勝手な道を歩こうと決心することはできない。わたしたちは、神のみ手が自分を導くのを待つのである。わたしたちは神のみ声が、「これは道だ、これを歩め」と言うのを聞くだろう(イザヤ30:21)。
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