2022年6月24日金曜日

彼らが神から遠ざかっていればいるだけ

彼らを怒らせたもう1つのことは、これまで律法学者たちを軽べつして、会堂には来たこともなかった人々が、イエスの周りに群がり、彼の言葉に魅せられたように聞き入っていることであった。律法学者やパリサイ人は、彼の清らかなみ前に立つと心を責められるばかりであるのに、どういうわけで、取税人や罪人は、イエスに引き付けられたのであろうか。 彼らは、その理由が、「この人は罪人たちを迎えて」と彼らがあざけりながら発した言葉そのものにあることを知らなかった。イエスの所に来た魂は、自分たちのような者のためにも、罪の穴から逃れる道があることを、イエスの前に来た時に感じた。パリサイ人は、ただ、彼らをあなどり、とがめるだけであった。 しかし、キリストは、長く父の家から離れていたとはいえ、父のみ心から忘れ去ることのできない神の子供たちとして、彼らをお迎えになった。そして、彼らが悲惨と罪の中にあること自体が、特別に神の憐れみの対象になる理由であった。彼らが神から遠ざかっていればいるだけ、彼らに対する熱望も大きく、彼らの救いのために大きな犠牲を、神は払われるのである。  キリストの実物教訓 第15章 この人たちは罪人たちを迎えて

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