2010年8月22日日曜日

過ぎ去ったこと

私も失望落胆と疑いの日々を経験しましたが、それはもはや過ぎ去った事を感謝します。私も他の人々と同じように一生懸命主に仕えようと試みましたが、失意の内にその努力を中断し、『無理だ、私には出来ない』と独白せざるを得ませんでした。それは私自身の弱さを思い知らされたからで、私の目に正しく見える人々や、聖書に出てくるかつての聖人たちは、私とは違っていたから正しい事ができたのだとしか思えませんでした。私は多くの残念な経験を通して、自分には悪を行う事しかできないのを知りました・・・。ここで1つ質問したいと思いますが、もしイエス・キリストの・・・この地上での生活が単なる演技にすぎなかったとしたら、どこに望みがあるでしょう。・・・彼は『罪は犯されなかったが、我々と同じように試みられた』とあります。一晩中祈られたとも書いてあります。あまりに苦悩に血のような汗がその顔からしたたり落ちたともあります。しかし、もしこららが見せ掛けで演技だったとすれば、-もしそれらの戦いが本物ではなく、彼は誘惑を何も感じておらず、単に祈る真似をしていただけなら、これらは私にとって何の益があるというのでしょうか・・・しかし・・・決して私が耐えることの出来ない経験を耐え、一生かかっても私自身の力では勝利できない事に勝利された御方がおられる。・・・私個人のどんな誘惑よりも激しい誘惑を経験され、あらゆる点において私と同じでありながら、かえって私より困難な境遇におかれ、肉体を通してサタンがしかけるすべての攻撃にさらされ、なおかつ罪を犯されなかった御方がおられるからこそ、私は心から喜ぶことができるのです。」

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