「神様はダニエルとその仲間たちをバビロンの偉人たちに交わせられた。それは彼らが異教国のただ中にあって、神様の性質をあらわすためであった。彼らは、どのようにして、このように大きな信頼と栄誉ある地位に適したものとなったのであろうか。彼らの全生涯を貫いていたのものは、小事に対する忠実であった。彼らは、大きなる責任におけると同様に、どんなに小さい義務においても神をあがめたのである。
神がバビロンにおいて、神のためにあかしを立てるようにダニエルを召されたのと同様に、今日世界において神の証人となるように、われわれをお召しになる。神はわれわれが人生の最大の事柄におけると同様に、最小の事柄においても神の国の原則を人々に示すことを望まれる。日ごとに神に対する忠実さをあらわす機会を見失っていながら、何か大きな仕事が持ち込まれるのを待っている人々が多くいる。彼らは人生のささいな義務を一意専心果たすことを怠っている。彼らのいわゆる大きな才能を働かせ得る何かの大きな任務が与えられるのを待ち、彼らの野心的な願望を満足させようとしている間に、日々は過ぎ去っていく。
真のキリスト者の生活において、重要でないというものはない。全能の神の目には、すべての義務は重要なのである。主はあらゆる奉仕の可能性を正確に量られるのである。用いられた能力と全く同様に、用いられなかった能力もまたその責任が問われる。われわれは、なすべきであったが、神の栄光を現すためにわれわれの能力を用いなかったために、達成することができなかったことについてもさばかれるのである。
高貴な品性は、偶然の結果ではない。それは神の摂理の特別な恵み、または賜物によるものでもない。それは自己訓練の結果であり、低級な性質を高級な性質に従わせ、神と人間への奉仕のために自己を降伏させる結果である。」~国と指導者~
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