2015年1月9日金曜日

クリスチャン生活の出発点において

このようにして、種をまく者は、種がいばらにふさがれたり、または、土が浅いために枯れたりしないように、手入れをしていなければならない。まず、クリスチャン生活の出発点において、すべての信者に、その基本的原則を教えなければならない。ただキリストの犠牲によって救われたということだけではなくて、キリストの生活を自分の生活とし、キリストの品性を自分の品性にすべきであることをも教えなければならない。重荷を背負うことと、生まれながらの傾向に勝利すべきことを、すべての者に教えなければならない。キリストの自己犠牲にならい、キリストのよき兵卒として苦難に耐えて、キリストのために働くことの幸福を、彼らに教えなければならない。
 また、キリストの愛に頼って、すべての思いわずらいを主にゆだねることを学ばせ、主に魂を導く喜びを味わわせなければならない。失われた者に愛と関心を寄せることによって、彼らは、自己を忘れてしまうのである。世の快楽は、引き付ける力を失い、世の重荷も苦にならなくなる。真理の鋤(すき)はその任務を果たし、未開の土地を掘り起こすのである。こうしてただ、いばらの上の部分を切るばかりではなくて、それを根から引き抜いてしまうのである。~キリストの実物教訓 種まきのたとえ~

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