主のみもと近づき、主のご用を忠実に果たす者によって、主はあがめられるのであると、主は言われる。「あなたは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである。」(イザヤ26:3) 全能のみ手は、わたしたちを前へ、そして更に前へと導こうとして、のべられている。主は、前進せよ、わたしはあなたを助けると言っておられる。あなたが求めることとその求めたものが与えられることとは、わたしの名の栄えになるのである。あなたが、つまずくのを待ち設けている者の前で、わたしはあがめられるのである。彼らはわたしの言葉が勝利のうちに果たされるのを見るであろう。「また、祈のとき、信じて求めるものはみな与えられるであろう。」(マタイ21:22)
悩みくるしみにあう者はすべて、神を呼び求めるとよい。冷酷な人々に頼ることをしないで、創造主に、あなたの求めを申し上げなさい。砕けた心をもって、神に来る者は、だれ1人しりぞけられることはない。心からの祈りは、決して消えてしまうものではない。天の聖歌隊の賛美を受けておられる神は、弱々しい人間の叫びをも聞かれる。わたしたちが、部屋の中で心の願いを申し上げたり、あるいは、道を歩きながら祈ったりすると、その言葉は宇宙の王のみ座にまで達する。それはだれも耳にも聞こえないであろうが、消え去ってしまったり、忙しい仕事に取りまぎれて、なくなったりしない。何ものも、人の心の願いを消し去ることはできない。祈りは街頭の騒音や群衆の混雑をこえて、天の宮廷への上っていく。わたしたちが語りかけているのは、神である。そして、神は、わたしたちの祈りを聞かれるのである。
自分にはなんの価値もないと感じる人も、神に自分の願いをゆだねるのをためらってはいけない。世の罪のために、キリストを与えることによって、ご自分をお与えになった神は、すべての魂の責任をご自分で負われたのである。「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜らないはずがあろうか」(ローマ8:32)。わたしたちを励まし力づけるために与えられたこうした恵み深いみ言葉を、神が成しとげてくださらないことがあろうか。
~キリストの実物教訓 祈りの能力~
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