イエスは苦しんでいる者に向かって、「言うことも聞くこともさせない霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」と言われる(マルコ9章25節)。少年は叫び声をあげて、苦しみもだえる。悪鬼は、出て行くにあたって、この被害者の生命を引き裂いてしまいそうにみえる。すると少年は、身動きしなくなり、いのちがとだえたかのようにみえる。群衆は、「あの子は死んだ」とささやく。しかしイエスは、少年の手をとって起こし、まったく健康な心とからだになった彼を父親に引き渡される。父親と子は救い主のみ名を賛美する。「人々はみな、神の偉大な力に非常に驚いた。(ルカ9章43節)。一方、律法学者たちは、敗北し、うちしおれ、ふきげんな顔をしながら立ち去った。
「できますれば、わたしどもをあわれんでお助け下さい」(マルコ9章22節)。どれほど多くの魂が罪の重荷の下にこの祈りをくり返したことだろう。するとすべての者に向かって、あわれみ深い救い主はこうお答えになる、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる。」(マルコ9章23節)。われわれを天に結びつけ、暗黒の勢力と戦う力をわれわれに与えてくれるのは信仰である。キリストを通して、神は、あらゆる罪の傾向を征服し、あらゆる誘惑に抵抗する手段をお与えになった。しかし、自分は信仰が足りないと思って、キリストから離れたままでいる者が多い。こういう魂は、無力と無価値のままに、あわれみ深い救い主のいつくしみにすがりなさい。自分を見ないで、キリストを見なさい。この世ににおられたときに、病人をいやし悪鬼を追い出されたおかたは、今日の同じに偉大なあがない主であられる。信仰は神のみことばによって生まれる。だから「わたしに来る者を決して拒みはしない」とのキリストの約束をしっかりつかみなさい(ヨハネ6章37節)。「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」と叫んで、イエスの足下に身を投げなさい(マルコ9章24節)。そうするかぎり、あなたは決して滅びることはない。決して。
~各時代の希望 奉仕~
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