2015年7月14日火曜日

自分を捨て、自分の十字架を負うて

キリストがそのために死なれた魂を愛することは、自我を十字架につけることを意味する。神の子である者は、これからは自分自身を世の救いのためにさげられた鎖の一環とみなさねばならない。すなわち、神のあわれみの計画において、自分をキリストと一体とみなし、失われた者をさがし求め、これを救うために、キリストと共に出て行かねばならない。クリスチャンは、自分が神に献身したこと、また自分の品性を通して世にキリストをあらわすのだということをたえずみとめる。キリストの生活にあらわされた自己犠牲、同情、愛が、神のために働く者の生活に再現される。
                               ~各時代の希望 十字架の前兆~

最も多くゆるされた者がキリストをいちばん愛するようになり、その御座の最も近くに立って、その大きな愛と限りない犠牲をほめたたえるのです。神の愛が本当によくわかった時に、罪の深さがわかるのです。私たちが救われるために下げられてる鎖の長さを知り、キリストが身代わりになって払われた限りない犠牲をいくらかでも悟るとき、心は言い知れない感謝にあふれ、悔いくずおれすにはいられないのです。
                                   ~キリストへの道 悔い改め~

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