神の恵みは、捕われの身であったパウロを支えて、試練の中で喜んでいることができるようにした。パウロはこの監禁が福音をひろめる結果になったと、信仰と確信に満ちてピリピの兄弟に書いている。「さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。 すなわち、わたしが獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体にもそのほかのすべての人々にも明らかになり、 そして兄弟たちのうち多くの者は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、ますます勇敢に、神の言を語るようになった。」とパウロは述べた。
パウロのこの経験の中に、われわれのための教訓がある。それは神の働かれる方法を示しているからである。主は、われわれには失敗であり敗北だと思われることから、勝利をもたらすことがおできになる。われわれは、神を忘れ、見えないものを信仰の眼で見上げることをせず、目に見えるものを見つめるという危険がある。不幸や災難に見舞われると、すぐさま神は無視しておられるとか残酷だと言って神をとがめる。神が、ある方面でのわれわれの有用さを断ち切ることが好ましいとお考えになることがあるが、われわれは、こうして神がわれわれの益となるよう働いておられることを考えてみもせずに嘆く。われわれは、こらしめが神の偉大なご計画の一部であり、苦悩のむちを受けてクリスチャンは、時には活発な奉仕に携わっている時よりももっと、主のために多くの事をすることができるということを学ぶ必要がある。
艱難から栄光へ ローマからの手紙
0 件のコメント:
コメントを投稿