2015年10月24日土曜日

彼の勇気はキリストの幾千の証人を奮い立たせ、悲しみに沈んだ幾千の人々の心に、彼自身の勝利の喜びを反響させている。

「年老いたパウロが、神のみことばとイエス・キリストのあかしのための証人として血を流してから、ほとんど20世紀が過ぎた。この聖なる人の一生の最後の場面を、将来の世代のために忠実に記録した人はなかった。しかし天来の霊感は、死に臨んだ彼のあかしを、われわれのために保存してきた。彼の声はラッパのひびきのようにその後の各時代に鳴りわたり、彼の勇気はキリストの幾千の証人を奮い立たせ、悲しみに沈んだ幾千の人々の心に、彼自身の勝利の喜びを反響させている。『わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。』{テモテ第二・4-6~8)」
                             ~艱難から栄光へ 義の冠が待つ~

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