天父のご臨在がキリストを取り囲んでいたので、無限の愛なる神が世の祝福のためにお許しになること以外は、何一つキリストの身にふりかかってこなかった。これが、キリストの慰めの源であった。わたしたちにおいてもそうである。キリストのみたまに満たされた人は、キリストのうちに宿っている。彼を狙う打撃は、ご臨在をもって囲んでいてくださるキリストに当たる。彼に起こることはみな、キリストを経てくるものである。キリストが彼の守り手であるから、彼は自分で悪に手向かう必要がない。主のゆるしがなければ、何ものも彼に触れることはできない。そして許されることはみな、相共に働いて彼を愛する者たちの益となるのである。
~祝福の山 悪人に手向かうな~
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