2018年5月1日火曜日

「野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい」

野山には花が咲き誇っていました。イエスはみずみずしく朝露にぬれたその姿をさして、「野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい」と仰せになりました(マタイ6-28)。野の花の優美な姿や繊細な色合いは人間が巧みに写し出すことができるかもしれませんが、いったいだれが一輪の花、一枚の葉にさえ生命を与えることができるでしょうか。道ばたの草花のどれ一つとっても、その存在は天空に星の世界を設けたのと同じ力によって造られたのです。すべて造られたもののうちに、神の偉大な心臓から生命が脈打っています。神は野の花を、地の王たちの身を飾ったいかなる装いよりもさらにはなやかに装われました。「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ」(マタイ6-30) 祝福の山 思いわずらってはいけません

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