時の貴重なことは、実に想像以上である。キリストは、1分1秒を貴重なものとみなされたが、わたしたちもそう思わなければならない。人の一生は、むだにすごすには、あまりにも短い。永遠のために備えをすべき恵みの日は、ほんのわずかしかない。浪費したり、自己の快楽のために用いたり、罪にふけったりする時間はない。将来の永遠の命のために品性を形成するのは、今である。厳密な審判の時の備えをするのは、今である。
人類家族は、死ぬころになってはじめて、真に生き始めるようなものである。もし永遠の命に関する真の知識を得るのでないならば、この世の絶え間なき労苦も無に終わってしまう。働きをする時間として、時を尊重するものだけが、永遠の命とその住居とにはいるにふさわしいものである。その人は、この世に生まれたかいがあったといえるのである。
わたしたちは、今の時を生かして用いるように勧められている。しかし、むだに過ごした時間は、永久に帰ってこない。一瞬間でも呼びもどすことはできない。ただ残っている時間を神の協力者となって神の大贖罪計画のために最善をつくすことによって、時をあがなうことができるだけである。
こうする者は、品性が一変する。彼は、神のとなり、王族の一員、天の王子となるのである。また、天使たちの友となるのにふさわしい者とされるのである。
~
知識を得、知力を啓発するか否かは、時間を正しく活用することにかかっている。知力の啓発は、貧困であるとか、身分がいやしい身分であるとか、逆境にあるからとかいって妨げられるべきものではない。ただ時間を重んじればよいのである。なんのあてもないむだ話、朝、床の中で浪費する時間、電車や汽車の中、駅で待つ間、食事を待つ時間、約束の時間に来ない人を待つ間などの時間を、本を手にしていて、研究、読書、思索などに活用するならば、どのようなことが成し遂げられるかわからない。固い決心をもって、たゆまぬ努力を重ね、注意深く時間を節約するならば、知識と知的訓練を受けることができて、どのような地位にでも適した者となり、よい感化を及ぼし、りっぱに役立つ人物となるのである。
キリストの実物教訓 タラントの正しい用い方
0 件のコメント:
コメントを投稿