2020年11月12日木曜日

わたしたちの指揮官は、万軍の主です

「最終的な幸いについての約束はすべて、勝利者に対してされています。「勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。」とイエスは言われます(黙3:21)。「勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。」と主は言われます(黙21:7)。勝利者というのは、勝利を得る人です。受け継ぐことが勝利することではありません。それは勝利したことへの報いにすぎません。勝利するのは今です。得るべき勝利は、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りに勝利することであり、自我と利己的放縦に勝利することです。戦って敵が退散していくのを見る人は喜ぶでしょう。彼の喜びを妨げることのできる人はいません。喜びは、敵が退散するのを見た結果、自然に生じてくるからです。ある人たちは、自我と世の欲との絶え間ない戦いをしなければならないという考えに恐れをなしてしまいます。それは、彼らが勝利の喜びについて何も知らないからです。彼らは負けた経験しかありません。しかし、勝利の連続であれば、いつも戦うということはそんなに悲しいことではありません。すべての戦いで勝利をしてきた百戦百勝の老いたベテラン兵は戦場にあこがれます。アレキサンダーの指揮のもとで敗北を知れなかった兵士たちは、いつも戦闘に連れて行ってもらいたがりました。一つ一つの戦いは力を増し加え、勇気を生むばかりで、それに応じて、征服された敵の力は弱くなっていきました。ところで、わたしたちは霊の戦いにおいて、どのように勝利に勝利を得ることができるのでしょうか。愛された弟子の言うことをお聞きなさい。 

 「なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。」 (ヨハネ第一の手紙5:4) 

  使徒パウロの言葉をもう一度読んでください。 

 「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。」(ガラテヤ人への手紙2:20)  

 ここに力の秘訣があります。働かれるのは、神の御子、天と地のあらゆる権威を与えられたかたです。もしキリストがこの働きをするために心のうちに生きておられるのであれば、いつも勝利を得られると言うのは誇っているでしょうか。 

  そのとおり、それは誇ることです。しかし、それは主にあって誇ることであり、ゆるされます。詩編記者は、「わが魂は主によって誇る。」と言っています。(詩34:2)。またパウロは、「わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。」と言っています(ガラテヤ6:14)。  

 アレキサンダーの兵士たちは無敵だと思われました。なぜでしょうか。彼らがもともと強く、すべての敵より勇敢だったからですか。そうではありません。アレキサンダーに率いられていたからです。彼らの強さは、彼のリーダーシップにありました。他の指揮者の下では、彼らは負けることがしばしばあったことでしょう。連合軍がウインチェスターで敵の前から敗走した時、シェリダンの存在が、彼らの敗北を勝利に変えました。彼なしでは、人々は恐れおののく群衆だったのに、大将に彼がいたので無敵の軍隊となりました。その戦いをした兵士、また同じ指揮者の下で戦った兵士たちの意見を、戦闘後に聞いたなら、喜びの声に司令官への賛美の声が混じっていたことでしょう。司令官が強かったので彼らは強かったのです。彼らは司令官の持っていたのと同じ精神に鼓舞されたのでした。  

 さて、わたしたちの指揮官は、万軍の主です。彼は敵全体の大将に応戦し、独力で彼を征服しました。いつも決まって キリストに従っていく人は、勝利から勝利へと前進します。彼に従う者だと告白する人たちが、彼に信頼をおくなら、勝利を繰り返し、闇から驚くべき光へと召し出して下さったかたへの賛美をはっきり表すでしょうに。

 ヨハネは、神から生まれた者は信仰によって世に勝つと言っています。神の御腕をとらえ、その強い力をしっかりとらえた信仰は、その働きをします。人が自分では不可能だったことを、神の力が人の内でどのように成し遂げるか、だれも語ることはできません。神がどのように死んだ者をに生命を与えるのか話すことができないのと同じです。イエスは、「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」と言われます(ヨハネ3:5 (注8?))。聖霊が人の激情を静め、誇り、ねたみ、利己心に勝利させるため、人のうちでどのように働かれるかは、聖霊だけが知っておられます。わたしたちにとっては、それがなされるのだということ、また、そのみわざが自分のうちでなさることを何よりも望んで、その達成のために神に信頼する人たちすべてのうちで、それがなされるであろうということがわかっているだけで十分です。
 E.J.ワゴナー サインズオブザタイムス1889年3月25日  信仰に関する教訓 LESSONS ON FAITH 第一章 信仰によって生きる LIVING BY FAITH 

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