「サタンが、神の民をその罪のゆえに責める時に、主はサタンが、彼らを極限まで試みることを許される。神に対する彼らの信頼、彼らの信仰と堅実さとが、激しく試みられる。彼らは、過去をふりかえると、望みを失ってしまう。なぜなら、その全生涯の中に、よいところをほとんど見ることができないからである。彼らは、自分たちの弱さと無価値とを十分に自覚している。サタンは、彼らの状態は絶望的で、彼らの汚れたしみは洗い去ることができないと思わせて、彼らを恐怖に陥れようとする。サタンは、彼らの信仰をくじいて、彼らを彼の誘惑に負けさせ、神に対する忠誠を放棄させようと望むのである。 神の民は、彼らを滅ぼそうとする敵に取り囲まれるが、しかし彼らの味わう苦悩は、真理のために受ける迫害を恐れてのものではない。彼らは、自分たちがすべての罪を悔い改めているかどうか、また、自分たちの中の何かのあやまちによって、「全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう」という救い主の約束の成就を妨げるのではないか、ということを恐れるのである(黙示録3:10)。もし彼らが、赦しの確証を持つことができるならば、拷問も死をもいとわないであろう。しかし万一、赦しに値しない者であることがわかって、自分自身の品性の欠陥のゆえに生命を失うようなことがあれば、それは神の聖なるみ名を辱しめることになってしまう。」 各時代の大争闘 恐るべき苦悩
https://m.egwwritings.org/ja/book/13869.3409#3409
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