2021年4月15日木曜日

私たちは幾たびとなく、欠点やあやまちを悔いてイエスの足もとに泣き伏すことでしょう。けれども、そのために失望してはなりません。たとえ敵に敗れても、神に捨てられ拒まれたのではありません。

世にはキリストのゆるしの愛を知り、本当に神の子になりたいと望んでいながら、自分の性格が不完全で、生活にはあやまちが多いために、いったい自分の心が聖霊によって新たにされたかどうかと疑う人があります。こうした場合に決して失望、落胆してはなりません。私たちは幾たびとなく、欠点やあやまちを悔いてイエスの足もとに泣き伏すことでしょう。けれども、そのために失望してはなりません。たとえ敵に敗れても、神に捨てられ拒まれたのではありません。キリストは神の右に座し、私たちのために執り成しておられます。使徒ヨハネは「わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる」(Ⅰヨハネ2:1)と言いました。また「父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである」(ヨハネ16:27)というキリストのみ言葉も忘れてはなりません、神は、あなたを自己に立ち返らせ、自らの純潔と聖潔とをあなたのうちに反映しようと望んでおいでになります。ただ神に従いさえすれば、すでにあなたのうちに良きことを始められた神は、イエス・キリストの日までその働きを続けてくださるのです。ですから、もっと熱心に祈り、もっと深く信じましょう。自分の力に信頼できなくなったとき、あがない主の力を信じ、私たちを 助けてくださる主を賛美しましょう。 キリストへの道 弟子としての証拠

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