2021年4月15日木曜日

私たちを救うために下げられている鎖の長さを知り、キリストが身代わりになって払われた限りない犠牲をいくらかでも悟るとき、心は言い知れぬ感謝にあふれ、悔いくずおれずにはいられないのです

「悪魔がきて、あなたは恐ろしい罪人であると言うならば、あがない主を仰ぎその功績を語りなさい。キリストの光をながめることは大きな助けになります。自分の罪を認めるとともに敵には、「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」(Ⅰテモテ 1:15)と告げねばなりません。そして、その測り知れない愛によって救われることを語りなさい。イエスはシモンに、2人の借財ある者について質問なさいました。1人の負債は少額でしたが、もう1人は多額の負債を持っていました。しかし主人は2人ともゆるしました。さて、キリストはシモンに、どちらが主人を深く愛したであろうかとお尋ねになりました。シモンはそれに答えて「多くゆるしてもらったほうだと思います」(ルカ7:43)とこたえました。私たちは大いなる罪人でしたが、私たちがゆるされるためにキリストは死なれたので、彼の犠牲の功績は私たちのかわりに神の前にささげられるに十分でした。最も多くゆるされた者がキリストを一番愛するようになり、その御座の最も近くに立って、その大きな愛と限りない犠牲をほめたたえるのです。神の愛が本当によくわかった時に、罪の深さがわかるのです。私たちを救うために下げられている鎖の長さを知り、キリストが身代わりになって払われた限りない犠牲をいくらかでも悟るとき、心は言い知れぬ感謝にあふれ、悔いくずおれずにはいられないのです。」 キリストへの道

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