2021年5月3日月曜日

イスラエル人がエジプトから約束の地へ行く道中、彼らの中の真心をもった人々は、周囲の国々の光であった

 どの時代においても、「彼ら……のうちにいますキリストの霊」は、神の真の子らをその時代の人々の光とした(Ⅰペテロ111)。ヨセブはエジプトにおいて、光を掲げる者であった。彼の純潔、慈愛、親を思う愛は偶像教国のただ中でキリストをあらわした。イスラエル人がエジプトから約束の地へ行く道中、彼らの中の真心をもった人々は、周囲の国々の光であった。彼らを通して神は世にあらわされた。バビロンではダエルとその友らが、ペルシャではモルデカイが暗い王宮に輝かしい光を放った。

 

同じように、キリストの弟子たちは、天へ向かう途上で光を掲げる者として置かれている。神について誤った考えをもち、暗黒に閉ざされている世界に、彼らを通して父なる神の憐れみといつくしみがあらわされるのである。彼らのよい行いを目撃して、他の人々は、天にいます父をあがめるようになる。実に賛美さ れるにふさわしく、また、その姿に似るにふさわしい品性をお持ちになっている神が、宇宙の王座にいますことが明らかにされたからである。心に燃える神の愛、生活にあらわれるキリストのような調和は、世の人々が天のすぐれたところであることを知るように与えられた、天のかすかなあらわれにほかならない。

 

こうして人々は、「神がわたしたちに対して持っておられる愛を信じる」ように導かれるのである(Ⅰヨハネ416)、こうしてかつては罪深く、堕落していた魂は変えられ、「その栄光のまえに傷なき者として、喜びのうちに」立たせられるのである(ユダ24)。

 

「あなたがたは、世の光である」との救い主のみことばは、主の弟子たちに世界的任務がゆだねられた事実を示している。キリストの時代には、神のみことばの守り手に任じられた者たちと、地球上の他のすべての国々との間に、利己毛義、高慢、偏見が、強く高い障壁を築いていた。しかし救い主は、このすべてを変えるために来られたのである。人々が主の口から聞いた言葉は、彼らが今まで祭司やラビから聞いてきたことと全く違っていた。キリストはへだての壁、利己主義、国民と国民をへだてる偏見を打破し、人類家族全体に対する愛をお教えになっている。主は利己主義が規定する狭い囲いから人々を引きあげ1すべての国境線や社会の人為的な差別を廃される、主は隣人と見知らぬ他人、また友人と敵の区別をなくされる。そしてわたしたちに、すべての困窮者を隣人と見、世界をわたしたちの伝道地とみなすようにお教えになっている。

 

太陽の光が地のどんな片すみにもさし込むように、福音の光が地に住むすべての魂にまで及ぶように、神は計画しておられる。キリストの教会が主の目的をなしとげていたならば、暗黒の中に座し、死の地と死の陰にいるすべての者の上に光が注がれたことであろう。ひとところに集まってしまって、責任と十字架を負うことを避けるかわりに、教会員はすべての国にちらばり、キリストの光を輝かし、また魂の救いのために主が働かれたように働いて、この「み国の福音」はすみやかに全世界に伝えられたにちがいないのである。





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