2021年6月3日木曜日

聖霊の働きはキリストの教会にとって非常に重要であるために

 各時代の大争闘序文より

 神は、みことばを通して、救いに必要な知識を人間にお与えになった。われわれは、聖書を、神のみこころについての権威ある、まちがいのない啓示として受けとらねばならない。聖書は品性の規準であり、教理を示すものであり、経験を吟味するものである。「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである」(Ⅱテモテ3:16、17)。

しかし、神がみことばを通してみこころを人間に啓示されたからといって、聖霊のたえざる臨在とみちびきが不要になったわけではない。それどころか、聖霊は、みことばを神のしもべたちに開き、その教えを解明して実行に移させるために、救い主によって約束されたのである。しかも、聖書に霊感を与えたのは聖霊だったのであるから、聖霊の教えがみことばの教えと相反するということはあり得ないのである。 

聖霊は、聖書にとって代わるために与えられたのではないし、また、そのようなものとして与えられるはずもないのである。なぜなら、神のみことばは、すべての教えとすべての経験を吟味する標準であると、はっきり聖書に述べられているからである。使徒ヨハネは言っている。「すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである」(Ⅰヨハネ4:1)。そしてイザヤは、「ただ律法(おきて)と證詞(あかし)とを求むべし、彼らのいうところこのことばにかなわずば、晨光(しののめ)あらじ」と宣言している(イザヤ8:20文語訳)。 GC 1592.3

一部の人々が、自分たちは聖霊の光を受けたから、もはや神のみことばによってみちびかれる必要はないと公言するような誤りを犯しているために、聖霊の働きについて大きな非難が投げかけられている。こういう人々は、自分の印象に支配され、それを魂に語る神の声とみなしている。しかし彼らを支配しているのは、神の霊ではない。このように、心の印象に従って、聖書を無視することは、混乱と欺瞞と滅亡に陥るだけである。それはまた、サタンの計画を助けるだけである。聖霊の働きはキリストの教会にとって非常に重要であるために、極端な人々や狂信的な人々の誤りを通して、聖霊の働きを軽べつし、主ご自身がおうえになったこの力の源を神の民に無視させるのが、サタンの策略の1つなのである。

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