「 あやまちを犯している兄弟を救うためには、自己の尊厳を犠牲にすることも、自分の命を捨てることさえもできると思う時にはじめて、あなたは自分の目から梁を取りのけ、兄弟を助ける備えができたと言えるのである。その時あなたは、彼に近づき、彼の心を感動させることができる。非難やけん責によって、悪から立ち返った者はいない。多くの者がそれによってキリストから離され、心を閉じて悔い改めなくなってしまった。優しい精神、穏やかな、人を引きつける態度は、あやまちに陥っている人を救い、多くの罪をおおうことができる。あなた自身の品性のうちにキリストがあらわされる時、それは、あなたの接するすべての者を変化させる力を持つのである。キリストが、日ごとに、あなたのうちにあらわされるようにしよう。そうすればキリストは、あなたを通してそのみことばの創造的なカ——他の人々をわたしたちの神である主のつるわしさを持つように再創造する静かな、説得力のある、しかも力強い感化カ——をあらわされのである。」 祝福の山 さばかずに行え
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