「わたしの名によって」祈りなさいと、キリストは弟子たちに言われた。キリストに従う者たちは、キリストのみ名によって神の前に立つのである。彼らのために払われた犠牲の価値によって、彼らは神の御目に価値があるのである。キリストの着せられた義によって、彼らはとうとい者とみなされる。神は神をおそれる者たちを、キリストのためにおゆるしになる。神は彼らのうちに罪人のけがれをごらんにならない。神は彼らのうちに、彼らが信じている神のみ子のみかたちをみとめられるのである。
神の民が自分自身を低く評価するときに神は失望される。神はご自分の選民が、彼らの上に神がおかれた価値にしたがって自らを評価するように望まれる。神が彼らを所望されたのである、そうでなければ、神は彼らをあがなうために、ご自分のみ子をあのように高価な使命におつかわしにはならなかったのである。神は彼らに用があるのであって、彼らが神のみ名の栄えをあらわすために、神に最高の要求をするときに神はよろこばれる。神の約束に対して信仰を持つときに、大きなことを期待できるのである。
しかしキリストのみ名によって祈ることには多くの意味がある。それはわれわれがキリストの品性を受け入れ、キリストの精神をあらわし、キリストのみわざをなすことを意味する。救い主の約束は条件つきで与えられている。主は、「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」と主は言われる(ヨハネ14:15)。主は人を罪のうちにあって救われるのではなく、罪から救われるのである。
各時代の希望 第73章 「あなたがたは心を騒がせないがよい」
0 件のコメント:
コメントを投稿