2021年7月6日火曜日

これは特別な事例ではなく、

 しかしこの時よりどれほど前から、サウロは主の使命者として選ばれていたのでしょうか。彼は自ら、生まれた時から「選び分かたれていた」のだと言っています。生まれた時から生涯の仕事をするために選ばれていたと記されているのは彼が最初ではありません。サムソンの場合を思い出して下さい(士師13:2-14)。バプテスマのヨハネは生れる何か月も前から名前を与えられ、彼の品性と生涯の仕事について説明されていました。主はエレミヤに、「わたしはあなたをまだ母の胎内につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたの聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」と言われました。(エレミヤ1:15)異教徒の王クロスは、彼が生れる百年以上も前に名を呼ばれ、神のわざの一端をになう働きが彼のために定められていました。(イザヤ44:28、45:1-4)

 これは特別な事例ではなく、この世における神の支配をわたしたちに示す目的で記録されたのです。テサロニケ人たちについて、「神が」彼らを「初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救いを得させようと」されたとあるのは、すべての人々にとっても同じく真実です(第2テサロニケ2:13)。その召しと選びを確実にするのは、すべての人次第です。そして「すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」かたは(第1テモテ2:3)、また「それぞれに仕事を割り当て」ておられます(マルコ13:34)。無生物の創造においてさえ、ご自分をあかししないではおられないかたは(使徒14:17、ローマ1:20)、地上における最高の創造である人間が、人間の知性によってだけできるような証を進んでするのを喜ばれるでしょう。すべての人は神の証人として選ばれ、各々仕事が割り当てられています。聖霊は、神が召された働きに用いられるのを各自が認めるよう、その人の一生を通じで説得に努めます。たださばきの日だけが、どれほど素晴らしい機会を人が無謀にも放り投げてしまったかを明らかにすることでしょう。ひどい迫害者であったサウロは力強い使徒となりました。人々に及ぼす大きな力を悪のためだけに発揮していた人が、もし聖霊の感化に身をゆだねるなら、どれほど大きな善をすることができるか、だれが想像できるでしょう。すべての人がサウロではありませんが、神がお与えになる力をに従って各々が神を証するために神から召され、選ばれているという考えがいったん把握されるなら、それはその人の生活に新しい意味を与える事でしょう。 

 その真理を知ると、わたしたちは神のみこころを個人的に知りたくなり、神が私たちのために計画された働きに用いていただけるように、全的に神に服すようになり、生活がもっと現実的になるばかりでなく、もっと他人の事を思いやるようになり、小さい者を無視することがなくなるでしょう。各自がすべきこととして神に与えられた働きにつこうとしている人々を見るというのは、何とすばらしく、喜ばしい、しかも厳粛な思想でしょうか。彼らは至高者なる神の僕であり、それぞれが特別な奉仕を割り当てられています。それは驚くべき特権であり、また驚くべき責任でもあります。神が彼らにさせたいと思っておられる働きをしているのは、なんとわずかな人々にすぎないことでしょう。わたしたちだれもが、天が彼に与えた責務からほんのわずかでもそれないように厳重に中止しなければなりません。

 わたしたちが覚えていなければならないもう一つのことは、全ての人に仕事をお与えになるのは神であるということです。それぞれが神から指図を受けるのであって、人からではありません。だからわたしたちは他人の義務に関して指図することに慎重でなければなりません。神は、わたしたちに、わたしたちの義務をはっきりと教えてくださるように、彼らにもそうすることがおできになります。そしてもし彼らが神のおっしゃることを聞きたくないというのなら、たとえわたしたちが彼らを正しい道に導くことができるとしても、彼らは耳を傾けようとはしないでしょう。「人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めること」はできません(エレミヤ10:23)。だから、まして、だれか他人の歩みを決めることなどできるでしょうか。

よきおとすれ ガラテヤ書1章 E.J.ワゴナー 

 

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