われわれがこうしたことを見る時に
悔い改める罪人に、「世の罪を取り除く神の小羊」に目をそそがせなさい(ヨハネ1:29)。見ることによって彼は変えられる。彼の不安は喜びにかわり、疑いは望みにかわる。感謝の思いがわきあがる。石の心がくだかれる。愛の潮流が魂に流れこむ。キリストは彼のうちにあってわきあがって永遠のいのちにいたる水の泉となられる。悲しみの人で、病を知っておられたイエスが、失われた者を救うために、軽蔑され、侮辱され、嘲笑され、町から町へ追われながら働かれ、ついに使命を達成されたのを見る時、イエスがゲッセマネで大粒の血の汗を流し、十字架上で苦しみのうちに死なれたのを見る時、——われわれがこうしたことを見る時に、自分を認めてもらいたいという欲求の叫びは、もはやなくなる。イエスを見上げて、われわれは、自分自身の冷淡さ、無気力、利己心を恥じる。われわれは、主に心から奉仕することができさえすれば、何になってもよいし、あるいは何にもならなくてもよいのである。われわれは、主のためなら、イエスにならって十字架を負い、試練と恥と迫害に耐えることをよろこぶのである。 各時代の希望 第48章 だれがいちばん偉いか
0 件のコメント:
コメントを投稿