2021年9月18日土曜日

ものごとを自分の気に入るような光の中に見たがる者には、主の道はぼんやりとしか見えない。

 試練と不幸の中にあって悲しむ人々のためにもまた慰めがある。悲嘆と屈辱のつらさは、罪にふけるよりもましである。神の恵みによって、われわれが自分の欠点にうち勝つことができるように、神は苦しみを通してわれわれの品性のけがれた点を示される。われわれ自身に関する未知の章が目の前に開かれ、神の譴責と勧告とを受け入れるかどうかがテストされる。試練に会った時、いらだったり、不平をいったりすべきでない。反抗したり心配したりして、キリストのみ手から離れてはならない。われわれは、神の前に魂をへりくだらせるのである。ものごとを自分の気に入るような光の中に見たがる者には、主の道はぼんやりとしか見えない。それはわれわれ人間の性質にとっては、暗く、喜びがないように見える。しかし神の道は憐れみの道であり、その終わりは救いである。エリヤが荒野でもう人生はたくさんだと言って、死にたいと祈った時、彼は自分のしていることがわからなかった。憐れみ深い主は、エリヤをその言葉通りには受けとられなかった。エリヤにはまだしなければならない大きな仕事があった。そして彼の仕事が終わった時、彼は荒野で落胆と孤独のうちに死ぬのではなかった。彼は死の塵の中へくだるのではなく、天の戦車に守られて栄光のうちに天のみ座のもとへ上るのであった。 各時代の希望 第31章 山上の垂訓

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