2021年9月19日日曜日

しかし、人間が神の忍耐の限度を越える時、この抑制は取り除かれる

  われわれは、自分たちの享受している平和と保護が、どんなに多くキリストに負うものであるかを、知ることができない。人類が全くサタンの支配下に陥らないようにしているのは、神の抑制力である。神が慈悲と忍耐をもって、悪魔の残酷で悪意に満ちた力を止めておられることを、不従順で恩を知らない者たちは、大いに感謝しなければならないのである。しかし、人間が神の忍耐の限度を越える時、この抑制は取り除かれる。神は、罪に対する宣告の執行者として罪人の前に立たれるわけではない。しかし神は、神の憐れみを拒んだ者をそのなすがままにされるのである。彼らは、自分たちがまいたものを刈り取らなければならない。退けた光、軽んじ、無視した警告、ほしいままにした欲情、神の律法にそむいたことなどはすべて、まかれた種であって、それは必ずその収穫をもたらすのである。神の霊は、頑強にそれを拒んでいると、ついには、罪人から離れてしまう。すると、もはや心の邪悪な感情を抑制する力がなくなり、サタンの悪意と敵意から彼らを保護するものがなくなってしまう。エルサレムの滅亡は、神の恵みの招きを軽んじ、神の憐れみの訴えを拒む者に対する恐ろしい、そして厳粛な警告である。罪に対する神の憎しみと、罪人に下る刑罰の確実性に関する、これ以上の決定的証拠はない。 各時代の大争闘 大いなる悩み

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