「多くの人の心にある思いが現れるようになるためです」(ルカ2:35)。救い主の生涯の光の中には、飼造主から暗黒の君にいたるまで、すべての人の心があらわされている。サタンは神のことを、利己的で圧制的なお方、すべてを要求されるが、何一つお与えにならないお方、自分自身の栄誉のために被造物の奉仕を要求されるお方、被造物のために何の犠牲協わないお方であるなどと言いふらしてきた。だがキリストという賜物が天父のみこころをあらわしている。それが証拠は、われわれに対する神のみこころが「わざわいを与えようというのではなく、平安を与えよう」との思いに示される(エレミヤ29:11)。それは神が罪を憎まれることは死のように強く、罪人に対する神の愛は死よりも強いことを宣言している。神は、われわれのあがないを引き受けられたからには、その働きの完成に必要なものは、それがどんなに大事なものであろうと、何一つ惜しまれないのである。われわれの救いに必要な真理は何一つ与えられないものはなく、どんな恵みの奇跡もおろそかにされず、どんな天来の方法も用いられないものはない。恵みに恵みが、賜物に賜物が加えられる。神が救おうとしておられる人々のために天の倉庫は全部開かれている。神は宇宙の富を集め、無限な力のみなもとを開いて、それらを全部キリストの手にお与えになり、これは全部人類のためだと言われる。天にも地にもわたしの愛より大きな愛はないことを人々にわからせるためにこれらの賜物を用いなさい。人の最大の幸福は、わたしを愛することにあるのだ。 各時代の希望 第5章 献納
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