2021年9月23日木曜日

思慮深い、敬虔な者が、はっきりした眼でこれを読めば、その根底には調和があることに気づくのである。

 十戒は、神ご自身によって語られ、神ご自身の手によって書かれた。それは神がおつくりになったものであって、人間のつくったものではない。しかし、神から与えられた真理が人間のことばに表現されている聖書には、神的なものと人間的なものとの結合がみられる。このような結合は、神の子であると同時に人の子であったキリストの性質の中にもあった。このように、「言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」ということは、キリストご自身についてと同様に、聖書についても言えるのである(ヨハネ1:14)。 

 聖書は、時代が異なり、身分や職業、また知的霊的な才能も広く異なっている人々によって書かれたので、その中の諸書は、そこに示されている主題の性質が異なっていると同時に、その文体にもいちじるしい対照がみられる。それぞれ異なった記者によって、それぞれ異なった表現形式が用いられている。同じ真理を、ある記者は他の記者よりも特にめだって強調していることがよくある。幾人かの記者が、異なった角度と関連から1つの主題を示しているので、浅薄に、不注意に、あるいは偏見をもって、これを読む者には、相違や矛盾があるように思われるかも知れないが、思慮深い、敬虔な者が、はっきりした眼でこれを読めば、その根底には調和があることに気づくのである。 

真 理は、いろいろな人によってあらわされているので、いろいろな角度から示されている。ある記者は問題のある一面に特に強い感動を受けている。彼は、自分の経験や自分の知覚力、認識力に合う点を把握している。またある者は、これとは異なった一面を把握している。そしておのおのは、聖霊のみちびきのもとに、自分の心に最も力強く訴えるものを示しているのである。すなわち、それぞれに真理の異なった一面をもっているが、しかしそこには、全体を通じて完全な調和がみられるのである。このようにしてあらわされた真理は、結合して完全な全体を構成し、人生のあらゆる境遇と経験の中にある人々の要求にこたえるのに適したものとなっているのである。  各時代の大争闘 序



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